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子育てエッセイ

松井るり子
  岐阜市生まれ。児童文化専攻。文筆業。暮らしや子ども、子育て、絵本についての著書多数。
 たおやかで独創的な目線から書かれた文章は、子育て中のお母さんをほがらかに励ましてくれます。
 この連載は、冊子「こどものまど2012年度」(鈴木出版刊)に掲載されたものです。

連載2 子どもと過ごしたすばらしい日々

 図書館やお店で小さいお子さんを見かけると、つい「いいなあー」と目で追ってしまいます。自分もかつて、幼い子ども三人を、ごにょごにょと身にまとわりつかせていたのに、今になって他人様をうらやましがって、「しょもなっ」と思います。三人とも元気で大人になってくれたことへの、感謝を忘れてはイカンと感じながらも、「いいなあー」ばかりが暴走します。
 昔を振り返れば、浮かんでくるのは、かわいくて優しいにこにこした三人の姿ばかり。そして、あんなにおりこうでいてくれた子どもたちのことを、「私はもっと賢くかわいがれたはずだ」という悔いに、さいなまれます。悔いたところで、やり直しはききません。
 こんなようなことを、まだまだかわいいお子さんがおいでの現役のおかあさんにおはなしすると、「わが子の赤ちゃん時代に、もっとゆったりかわいがってやればよかった」というお声が返ってきます。そっかー。これは過去形母親のみならず、現在進行形おかあさんにも、共通の気持ちなんですね。だとしたら、対策を考えねばなりません。後悔は苦しく、苦しさは、現在進行中のおかあさん業にもさしさわるでしょうから。
 どんな対策があるかなと考えて、これだと思ったのが、アーノルド・ローベル作『ぼくのおじさん』(文化出版局)でした。こくごの教科書に載っていた「がまくんとかえるくん」のおはなしで、この作者になじみのある方も、おいでかもしれません。

 海難事故で両親を亡くした、ぞうの子が主人公です。ある日、ひとりぼっちの主人公「ぼく」を引き取るために、独り身のおじさんが迎えに来てくれました。ふたりは、おじさんの家に行くために、まず汽車に乗ります。おじさんは、窓の外を飛ぶように過ぎる、野原や畑、家や電柱を数えようとしますが、どれもこれも汽車が速すぎて、うまく数えられません。
 おじさんの家での、風変わりで楽しい暮らしが始まりました。月の光のもとでごはんを食べたり、ぞうならではの大音声で「夜明け」にごあいさつしたり、庭の花とお話ししたり。時には、おじさんが「ぞうの王さまと王子さまのおはなし」をしてくれます。両親を思い出して悲しくなった「ぼく」を、おじさんが笑わせてくれることもあります。歌も作ってくれました。
 んなある日、亡くなったと思っていた両親が、救助されたという電報が届きます。「ぼく」とおじさんは、うれしくて跳ね回り、すぐに「ぼく」の家に向かいます。
 帰り道の汽車の中、おじさんはまた何かを数えています。何を数えているのか、「ぼく」にはわかりません。
 やがて、「ぼく」は両親の腕に、無事抱き取られます。その夜、みんなでおいしい晩ごはんを食べ、おじさんが作ってくれた歌をうたいます。
 「ぼく」が自分のベッドに入った時、おじさんが部屋に入ってきて、汽車の中で何を数えていたかを教えてくれました。おじさんは、「日にち」を数えていたのだそうです。「ぼく」とおじさんで過ごした、素晴らしい毎日の数を。それはなんと速く過ぎてしまったことでしょう。おじさんは、「ぼく」におやすみのキスをしてドアを閉め、自分の暮らしへと帰っていきました。

 子どもが必要なときに現れて、必要な助けをしてくれる大人は、その子に自分が必要でなくなれば、すみやかに去るのでした。すごすぎます。飛ぶように過ぎ去る子どもとの日々を、一日一日惜しみながら、大事に過ごすやり方を、このおじさんは教えてくれます。子どもと一緒にごはんを食べて、花にあいさつして、おはなしをして、笑って、歌う。
 なあーんだ、そんなこと。簡単そうです。でも、私の暮らしを振り返ってみれば、あんまりやっていませんでした。いつでもできると思って、十分にしないままで過ぎてしまいました。そう思うと、悲しくなります。子どもと過ごせる「持ち時間」に終わりがあることを知っている、このおじさんは賢いです。わが子の四歳の時間、五歳の時間、六歳の時間は、飛ぶように過ぎていきます。速すぎて数えられないほど、びゅんびゅんと。

 このごろ、親が身体だけ子どものそばに置いて、携帯やインターネットに心を奪われて過ごす、「うわのそら育児」が気にかかっています。ネットのむこうの友は、写真うつりで言えば、一番良い向きの顔だけを見せてくれますし、私も実際よりキリッと見えているかもしれません。よって、この交友は癖になりやすく、楽しいです。でも、そうやってネットで時間を使っている間に、わが子との現実の時間はどんどん減っています。両方いっぺんにはできません。私も子どもに「あと、あと」と言っては一日過ごし、子どもの寝顔を見ながら「あとは、来なかったなあ」と思うことばかりでした。それが一番の後悔です。

 子どもといられる時間の終わりが来たら、後悔も涙もなく、淡々とドアを閉めて立ち去るこつは、あとでなく今、子どもと一緒に花を育ててごはんを食べて、おはなしをして歌って笑う「ふつうの暮らし」をすること。ただそれだけみたいです。

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