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子育てエッセイ

松井るり子
  岐阜市生まれ。児童文化専攻。文筆業。暮らしや子ども、子育て、絵本についての著書多数。
 たおやかで独創的な目線から書かれた文章は、子育て中のお母さんをほがらかに励ましてくれます。
 この連載は、冊子「こどものまど2012年度」(鈴木出版刊)に掲載されたものです。

連載15 おつきさんが見てる

 ものごころついた頃から、私は「いい子になりたい」と願っていました。それは、ハエが明るい方の窓にはりつきたがるのに似た、生理的な欲求だったと思います。
 小学校では、気がついたら「いい子」でした。宿題をせずに学校に行ったり、忘れ物をしたり遅刻をしたりする度胸がないというだけの、気の小さい、いい子です。そういった低レベルの「いい子」は、「悪い子」を自分と切り離して、別のところに置いて、安心したがります。ただし「いけないんだー」などと騒げば、自分も悪い子になってしまうので、黙って違和感をため込みます。小心者のいい子志向の継続によって入った高校で、「べんきょうができる」夫と出会って、結婚しました。
 子どもを育ててみたら、びっくりしました。うちの子たちときたら、宿題をやらないことも、忘れ物をすることも、遅刻することもへっちゃらなのです。聞いてみると、夫も昔そういう子だったそうで、二度びっくり。よくそんな大胆不敵な態度で生きていかれるなあと呆れ、感心しながら、子どもの「忘れ物のお届け」を、何回もしました。小学校の下駄箱に、電話で請求されたブツを突っ込んでおくのですが、学校玄関には、防犯のためでしょうか、なぜかいつも先生がいらして、「ご苦労様でーす」などと明るく声をかけて下さるので、曖昧に頭を下げて逃げ帰りました。
 この年になってクラス会に出てみれば、通信簿が1と2ばかりだった子が、羽振りの良い会社の起業社長さんだったり、医学に見放された患者さんの、頼みの綱のヒーラーだったりします。人様のお役に立っておられる輝きがまぶしいです。成績がどうしたって? ということを、わかりやすい形で知らされます。「いい子でなくても平気」だった我が子も、おかげさまで心の優しい、考え深い人間に育ってくれました。
 
 先般、あだち充の高校野球マンガ、『クロスゲーム』(小学館)全17巻を貸してくれた友人と、登場人物の「誰が好き?」で盛り上がりました。話してみると、彼女は怪我で挫折した元選手の八百屋さんのファンで、私は渋くて地味なキャッチャーのファンでした。互いに「好みが変わったね」と気がつきました。昔は中心人物にしか、目が行かなかったのです。子どもを育てるうちに「主人公じゃないとダメ主義」では間に合わないことを、おのずと学んでいたのかも知れません。
 
 正の走光性を持つように、善き人になりたいという志をかかげることは、結構なことと思いますが、子どもが自分を偏狭な囲いの中に追い込んで、そこからはずれたらもうおしまいだと思わせては、親から子への本当の気持ちが伝わっていないと言えましょう。勤勉な脇役への敬愛の伝え方を探っていたときに、『みみずのオッサン』(長新太/作・絵、童心社)に出会いました。
 
 「オッサン」という名のみみずが散歩をしていると、ヌルヌル、ベトベト、ベタベタベタ~と、極彩色のペンキが降ってきました。ペンキ工場が爆発したのです。人間のおかあさんもおとうさんも、ペンキにつぶされていきます。えのぐとクレヨンの工場も爆発して、ベタベタの町は動かなくなってしまいました。人のつくったものが、人が住めなくなるほど地面を汚して、人は滅びました。
 すると、汚れた大地を覆うペンキやえのぐやクレヨンを、みみずのオッサンが食べはじめます。もぐもぐもぐもぐムシャムシャムシャ。みみずが黙々と汚いものを食べて、うんちをすると、それはきれいな泥に変わっていました。あたりはやがて緑の大地になり、地球はずっと昔に戻って恐竜の世界になりました。オッサンは自分のうんちで地球をよみがえらせました。
 そんな偉大な仕事を成し遂げたオッサンですが、大地の上をゆったりと歩く恐竜に憧れて「きょうりゅうになりたいなあ」と思います。ですが空にのぼったおつきさんが、オッサンに言いました「そのままでいいよ」。
 
 ロシアの文豪、ボリス・パステルナークの詩の一節を思い出します。「敗北と勝利とを、お前自身が区別してはならぬ」。
 これについての解説を本で読みました。人間は自分の価値のあるなしすらわからない。ただ自分は自分でしかない。私たちに命を与え、命を支えている「人間を越えるもの」が、私たちの短所も長所も、過ちも、いさおしも、何もかもありのままに見ている…(要約松井)。
 オッサンの価値を決めるのは、オッサンではなく、私でもなく、「おつきさん」に象徴される、人を越えた偉大な存在なんだなあと、うなずくことができます。価値はおつきさんが決めること、と。  

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