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子育てエッセイ

松井るり子
  岐阜市生まれ。児童文化専攻。文筆業。暮らしや子ども、子育て、絵本についての著書多数。
 たおやかで独創的な目線から書かれた文章は、子育て中のお母さんをほがらかに励ましてくれます。
 この連載は、冊子「こどものまど2012年度」(鈴木出版刊)に掲載されたものです。

連載16 冬至まつり

 雪国の盆地に生まれ育った夫は、夏至が近づくと「この先、日が短くなるなあ」と、しょんぼりします。冬至が近づくと「もうちょっとで、こっちのもんや」と元気になります。
 春分の日と秋分の日は、学校がなくて、ぼたもち(春の牡丹)かおはぎ(秋の萩)がある日なので、私も子どものときから意識していました。でも、学校がお休みにならない夏至と冬至のことは、意識したことがありませんでした。柚子風呂は、冬至のものと気づいたのも、大人になってからでした。夫と暮らすようになって、光の多寡で元気が左右される体質が、私にもうつってきました。冬至を過ぎたら、寒さはさらに厳しくなります。風邪も流行るし、受験、異動、お別れなどで、心穏やかでいられない時期でもあります。そう考えてみると、光は増えてもマイナス要素は多いのです。ですから単に日が長ければよいのではなくて、これからもっと長くなる方に、春に、「向かっている」ことがよいのだなーと思い当たります。明るい方に向かっている心強さで、寒さも乗り切れる気がしてきます。
 
 スウェーデンの絵本、『おひさまのたまご』(エルサ・ベスコフ/作 徳間書店)は、森に住む妖精のお話です。この妖精は、苔の上に落ちたたまごを、小鳥のおかあさんに返すことを仕事にしています。ある日、妖精は人間の子どもが落としていったオレンジを、おひさまのたまごかしらと思います。スウェーデンの森にすむ妖精は、オレンジなどそれまで見たことがなかったのです。でも渡り鳥に、それはオレンジという果物で、中にはおいしいジュースがつまっていると教えてもらいます。そこで、友達と一緒に麦わらのストローをオレンジに挿し込んで、ジュースを楽しみました。オレンジのなる南の国と太陽への憬れが、こんなお話に結実するのですね。
 この本を読んで以来、柚子風呂をするときは、おひさまと一緒にお湯に漬かる心地です。浮かんだ柚子をくるくる回しながら、きれいな黄色を目の中にたっぷり入れます。「冬至のかぼちゃ」も、おひさまのように丸くて、きれいな橙色ですね。甘辛く煮つけずに、茹でたのを、胡椒を効かせた自家製醤油ドレッシングで食べるのが好きです。
 
 イギリスの『ひみつのかいだん』(ジル・バークレム/作 講談社)では、2匹の野ねずみの子どもが、冬至まつりのだしものにする詩を、暗唱しようと頑張っています。
「冬至。昼はみじかく夜はさむく… 雪はふかく空はくらい…」。
 2匹は練習の途中で鍵を見つけます。それに合う鍵穴も見つけました。鍵で扉を開いてみると、そこは忘れ去られた階段と揃い部屋に続いています。2匹の子ねずみたちは、この場所で、大人たちには内緒で、長い冬を楽しく過ごせそうだとわくわくします。楽ではないお勉強を進める中で、なにか心の躍る拾いものに当たるというのは、子どもにも大人にもありそうなことです。
 
 アメリカの『くんちゃんとふゆのパーティー』(ドロシー・マリノ/作 ペンギン社)では、こぐまのくんちゃんが「ふゆごもりの前に雪を見てみたい」と願います。願いが聞き届けられ、ほどなく雪が降り始めて、くんちゃんは「雪ぐま」を作ったり、食べ物探しに困った小鳥たちにご馳走したりします。仕事に出かけたおとうさんを喜ばせようと、ひと働きした後は、おみやげの毛布にくるまって、春までぐっすり眠りました。くんちゃんが、自分のための「うれしいことさがし」よりも、人を喜ばせることをうれしがっているところが、頼もしくて好きです。
 
 日本民話の『かさじぞう』(赤羽末吉/絵、福音館書店)では、笠売りのおじいさんが、年越のしたくのために町に行きました。雪の降る帰り道、ひとつも売れなかった五つの笠に、自分のかぶっていた笠も足して、六地蔵さんに差し上げました。するとお地蔵さんたちがお礼に、いい物をたくさん持ってきて下さったので、おじいさんとおばあさんは、楽しいお正月が迎えられました。
 
 昼と夜の長さが同じ。昼が一番長い。昼と夜の長さが同じ。夜が一番長い。これがぐるぐる繰り返すうちに、私たちは年を取っていきます。光と闇の天秤の傾きの変わる節目に合わせて、世界中でお祭りがあります。日本では、お彼岸から桜の頃の春まつり。夏至あたりのお盆。秋のお彼岸頃の収穫祭。冬至の頃のお正月。なかでも一番大きな節目がお正月であるのは、太陽の再生と結びつくからでしょうか。
 
 デンマークの『マッチ売りの少女』(アンデルセン/作)では、凍えそうな貧しい少女が、大晦日の夜にマッチを売ります。知った話のつもりでいたのですが、先日読み返してみました。すると、最後のマッチを擦った時、少女が「新年のよろこびのなかに」入っていくという一文がありました。とても驚きました。この夜、この子は死ぬのですが、それが彼岸での再生の喜びとしてとらえられているのは、とても東洋的だと思ったのでした。  

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